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女川町
2013年8月16日
何の予備知識もなく初めて訪れた宮城県女川町。そこに待っていたのは、2年半近く経っても消えない巨大津波の跡だった。わずか数時間の滞在で、身も心もくたびれ果てた。
どう撮ればいいのか分からないままシャッターを押してみたが、やはり伝えたいものが現れていないようだ。それでも記録して公開したい気持ちに従った。
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JR石巻線浦宿駅。女川駅への区間は
不通。列車代行バスの窓から。
女川駅。実際は、女川町総合運動公園前。
店一つない「駅」に途方にくれた。
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町役場の臨時庁舎と市街地への道路。
昔の駅まで600メートル。
臨時庁舎の裏手。女川小学校の正門。
通行止めの道路から。
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通行禁止を無視して歩いたが... 市街地などなく、そこは盆休み中の広大な工事現場だった。
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場所にそぐわない「女川駅」の看板。
右手奥が小学校の校舎。
ギョッとして近づいた横倒しの建物。
後に女川交番と知る。
海抜16メートルの高台にある地域医療
センター。横断幕の言葉にやっと理解
が追いついた。
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地域医療センターの入り口。避難場所
でもあった。この高さでさらに2メー
トルの津波。想像を超える。
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女川湾を背にして立つ簡素な慰霊碑。
黙祷。
また現れた横倒しのビル。シャッター
を押しながら涙が溢れ出た。
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地域医療センターの庭から見下ろす女川の市街地跡と復旧に忙しい女川港。
元の姿も、そしてこの姿も、2度と見られない。
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高台を下り、町の跡へ。「造形 さがみ
風っ子展」とある。どんな願いが。
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3つ目の横倒しの建物。このまま残すのだろうか。 とりもどしてほしい、笑顔の町。
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工事現場と隣り合わせの献花台。約900人と言われる犠牲者の霊を慰めるには質素
すぎるようだが、形を変え場所を変えても、いつまでも続いてほしいと願う。
地域医療センターと献花台。津波の高
さを再度想う。
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近よるなの警告を無視して、近づいて
撮った女川交番。
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列車代行バスの女川駅へ戻る途中の工事現場から。巨大な波に襲われ、流され、片づけられ、今は無味乾燥な工事中の荒れ地。
無惨無情を感じるには、時間が経ちすぎてしまったか。
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市街地の奥にある墓地。ここも波に洗われたのだろうか。仏様たちは何を思う。
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夕暮れの女川町。しばらくさようなら。 浦宿駅。石巻へ戻り、痛飲して、この
日を終えた。

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